金融政策というと、「日本銀行が金利を上げたり下げたりすること」というイメージが強いかもしれません。しかし、金融政策の本質はもっと広いところにあります。
中央銀行が金融機関に供給する資金が変化すると、銀行間の金利が動き、それが企業や家計にとっての借入金利に波及します。さらに、株価や地価、為替レート、銀行の融資姿勢なども変化し、その結果として企業の設備投資、住宅投資、消費、輸出入などが動きます。最終的には、国内総生産、雇用、物価にまで影響が及びます。
つまり金融政策とは、単純に「金利を操作する政策」ではありません。金融システムを通じて総需要を動かし、景気や物価の安定を目指す政策なのです。
そして、この仕組みを理解すると、日本経済がなぜバブルを経験し、なぜバブル崩壊後に長い不況に陥ったのか、さらに「金利を下げても景気が回復しない」という一見矛盾した現象まで理解しやすくなります。
- 1.金融政策の最終的な目的は何なのか
- 2.なぜ中央銀行だけが金融政策を実行できるのか
- 3.金融政策の三つの基本的な手段
- 4.日銀当座預金が増えると、なぜ金利が下がるのか
- 5.短期金利の低下は、どうやって企業や家計に届くのか
- 6.短期金利が下がれば、長期金利も下がるのか
- 7.金利低下は企業の設備投資を刺激する
- 8.金融政策には「資産価格」というもう一つの経路がある
- 9.金融政策は為替レートも動かす
- 10.金融政策が効かないことも――「流動性のわな」
- 11.金利を下げても企業が投資しない、もう一つの理由
- 12.なぜ1990年代の日本は、金融緩和をしても景気が回復しなかったのか
- 13.「金融緩和が効かない」という問題を分解すると見えてくる
- 14.なぜ「名目金利」だけを見てはいけないのか
- 15.金融政策には時間差がある
- 16.「名目金利が上がった=金融引締め」とは限らない
- 17.マネーサプライを金融政策の目標にする考え方
- 18.しかし、マネーサプライを一定にすればよいわけではない
- 19.バブル経済――金融政策と資産価格の危険な組み合わせ
- 20.バブルは「期待」によってさらに膨らむ
- 21.バブル崩壊は、なぜ景気後退を深刻にしたのか
- 22.「金融政策の失敗」だけでは説明できない日本のバブル崩壊後
- 24.この視点から見ると、バブルとデフレは表裏一体になる
- 25.金融政策の本当の難しさ――「ちょうどいい金融」とは何か
- 26.金融政策を見るときの「五つの数字」
- 27.金融政策から見た日本のバブル経済の本当の姿
- 28.金融政策は「お金を増やす政策」ではなく「期待を動かす政策」でもある
- 29.第9章から見えてくる金融の全体像
- おわりに――金融政策とは「経済の血流」を調整する仕事である
1.金融政策の最終的な目的は何なのか
金融政策を考えるとき、まず「何のために金融政策を行うのか」を考える必要があります。
金融政策の代表的な目的として考えられるのが、物価の安定、雇用の安定、経済成長、為替レートの安定などです。
ただし、これらを一つの政策手段だけで同時に完全に実現できるわけではありません。
たとえば、景気を刺激するために金融を緩和すれば、企業の設備投資や家計の消費が増加する可能性があります。しかし、経済に十分な供給能力がなければ、需要の増加は生産の増加よりも物価上昇につながるかもしれません。
逆に、インフレを抑えるために金融を引き締めれば、物価上昇には歯止めをかけやすくなりますが、企業の投資や雇用を抑制してしまう可能性があります。
つまり、金融政策には一定のトレードオフがあります。
特に重要なのが、物価を安定させることと、雇用や経済成長を維持することの関係です。物価が安定していることは重要ですが、物価上昇率をゼロに近づけることだけを追求して、雇用や経済活動を大幅に犠牲にすれば、それも望ましい政策とはいえません。
この点から、金融政策の目的は「物価を低くすること」ではなく、より広く、貨幣の価値を安定させながら、経済活動が過度に加熱したり落ち込んだりすることを防ぐこととして理解することができます。
2.なぜ中央銀行だけが金融政策を実行できるのか
金融政策の特殊性は、日本銀行が経済の中で非常に特殊な立場にあることから生まれます。
銀行同士が最終的な決済をするときに利用するのが、日本銀行に開設された当座預金です。そして、民間銀行が保有する日銀当座預金と、世の中に流通している日本銀行券を合わせたものが、ハイパワード・マネー、すなわちマネタリーベースです。
日本銀行は、このハイパワード・マネーを供給できる唯一の主体です。
ここが非常に重要です。
普通の銀行は、企業や個人に融資すると、その金額を借り手の預金口座に記帳します。つまり銀行の貸出によって預金という貨幣が生み出されます。
ところが、銀行自身が最終的な決済をするときには、日本銀行との関係が必要になります。
したがって、
日本銀行
↓
日銀当座預金
↓
銀行間市場
↓
銀行の資金調達コスト
↓
企業・家計への貸出
↓
預金・マネーサプライ
↓
投資・消費
↓
GDP・雇用・物価
という巨大な経路が存在しています。
金融政策とは、この金融システムの根元にある日銀当座預金などを操作することによって、経済全体に影響を及ぼそうとする政策なのです。
3.金融政策の三つの基本的な手段
この時期の日本銀行の金融政策手段として挙げられているのが、日本銀行貸出、債券・手形オペレーション、準備率操作です。
日本銀行貸出
日本銀行が民間銀行に資金を貸し出す仕組みです。
日本銀行から銀行に資金が供給されれば、その銀行の日銀当座預金が増えます。反対に、日銀貸出を回収すれば日銀当座預金が減少します。
このとき、日本銀行が銀行に貸し出す際の基準となる金利が公定歩合です。
ただし、ここで注意が必要なのは、公定歩合そのものを変えれば、それだけで経済全体が自動的に動くわけではないという点です。
後述するように、本当に重要なのは、日銀当座預金の供給量や、それを通じて市場金利がどう変化するかです。
債券・手形オペレーション
日本銀行が銀行などの金融機関と債券や手形を売買する方法です。
日本銀行が債券を買えば、代金が銀行の日銀当座預金に入ります。つまり、
買いオペ
→ 日銀当座預金増加
→ 銀行の資金余裕増加
→ 金利低下
という方向に働きます。
逆に、日本銀行が債券を売れば、銀行は日銀当座預金でその代金を支払うため、日銀当座預金が減少します。
売りオペ
→ 日銀当座預金減少
→ 銀行の資金余裕減少
→ 金利上昇
という関係です。
現代の金融政策を理解するときにも、この「中央銀行が金融市場に流動性を供給したり吸収したりする」という考え方は重要です。
準備率操作
銀行は、預金を受け入れている以上、一定の準備を保有する必要があります。その準備として日本銀行に預けておく資金が日銀当座預金です。
預金残高に対して、どれだけ準備を保有しなければならないかを定めたものが所要準備率です。日本銀行がこの比率を変更することによって銀行の資金運用に影響を与えることができます。
ただし、実際の金融政策を理解するうえでは、準備率操作よりも、日銀当座預金と市場金利の関係を理解することのほうが重要です。
4.日銀当座預金が増えると、なぜ金利が下がるのか
ここは金融政策を理解するうえで最も重要な部分の一つです。
銀行は一行だけで営業しているわけではありません。銀行同士で資金を融通し合っています。その代表的な市場がコール市場などのインターバンク市場です。
ある銀行が日銀当座預金を十分に持っていれば、他の銀行から資金を借りる必要がありません。一方、資金が不足している銀行は、他の金融機関から日銀当座預金を借りようとします。
したがって、日銀当座預金が市場全体として増えれば、
「資金が余っている銀行」が増える
↓
銀行同士で資金を貸したい
↓
資金の価格である金利が低下する
という動きが生じます。
逆に日銀当座預金が不足すれば、
「資金を借りたい銀行」が増える
↓
資金をめぐる競争が激しくなる
↓
金利が上昇する
という関係になります。
この市場で成立する金利がコール・手形レートです。日本銀行が日銀当座預金を増やすと、まずこの短期のインターバンク金利が低下します。
5.短期金利の低下は、どうやって企業や家計に届くのか
ここから金融政策の「波及メカニズム」が始まります。
コール・手形レートが低下すると、銀行にとって短期的な資金調達コストが低下します。
銀行は、
「わざわざ高い金利を払って預金を集める必要がない」
と考えるようになります。
また、金融市場では金融商品の間で裁定取引が行われます。ある金融商品だけ金利が高ければ、投資家は金利の低い商品から高い商品へ資金を移します。
その結果、コール市場だけでなく、CD、CP、債券現先などの短期金融市場の金利にも低下が波及します。さらに銀行の預金金利や短期貸出金利にも影響が及びます。
ここまで来ると、中央銀行の政策が企業や家計に近づいてきます。
銀行の短期貸出金利が低下すれば、企業は資金を借りやすくなります。住宅ローンなどを通じて家計の借入条件にも影響します。
つまり、
日本銀行
→ 日銀当座預金
→ コールレート
→ 短期金融市場
→ 銀行の資金調達コスト
→ 貸出金利
→ 企業・家計の行動
という連鎖が生まれます。
6.短期金利が下がれば、長期金利も下がるのか
ここで問題になるのが、長期金利です。
企業の設備投資や住宅購入などでは、数年単位の資金調達が必要になります。そのため、短期金利だけではなく長期金利も重要になります。
長期金利と短期金利の関係を説明する考え方の一つが、金利の期間構造に関する期待仮説です。
簡単にいえば、長期金利は、現在の短期金利だけではなく、将来の短期金利がどうなると予想されているかにも影響されます。
「今の短期金利が低い。そして、今後もしばらく低金利が続くだろう」
と市場参加者が考えれば、長期金利も低下しやすくなります。
逆に、
「今は短期金利が低いが、近いうちにインフレが進んで金利が上昇するだろう」
と予想されれば、現在の短期金利が低くても長期金利はそれほど下がらない可能性があります。
ここから非常に重要なことが分かります。
金融政策は、現在の金利だけではなく、将来の金利に対する期待を通じても経済を動かすのです。
7.金利低下は企業の設備投資を刺激する
金融緩和によって長短金利が低下すると、企業にとって設備投資が実行しやすくなります。
たとえば、ある企業が10億円の工場を建設するとします。
その工場から得られる将来利益が十分に大きいなら、金利が高くても投資するでしょう。しかし、投資による期待収益がそれほど大きくなければ、金利が高いと「借金してまで工場を作る意味がない」と判断するかもしれません。
金利が低下すると、投資に必要な資金のコストが下がります。
その結果、
金利低下
→ 投資コスト低下
→ 設備投資増加
→ 生産・雇用増加
→ 所得増加
→ 消費増加
→ 総需要増加
という循環が期待できます。
経済に生産能力の余裕がある場合には、投資乗数効果によって実質GDPや雇用が増加します。
しかし、供給能力が限界に近い場合には事情が変わります。
工場がすでにフル稼働していて、人手も不足している状態で需要だけが増えれば、企業は簡単に生産量を増やせません。
その場合、
金融緩和
→ 需要増加
→ 生産増加は限定的
→ 価格上昇
という結果になりやすくなります。
したがって、金融緩和が「景気刺激策」になるのか「インフレを加速する政策」になるのかは、経済にどれだけ供給余力があるかによって変わります。
8.金融政策には「資産価格」というもう一つの経路がある
金融政策の面白いところは、企業への貸出だけでなく、株価や地価まで動かす可能性があることです。
金融緩和によって金利が低下すると、預金や短期金融商品から得られる収益率も低下します。
すると投資家は、
「このまま低金利の預金を持っているより、株式や債券、不動産などに投資したほうがよいのではないか」
と考えるかもしれません。
資金が株式や土地などへ向かえば、それらの資産価格が上昇する可能性があります。
資産価格が上昇すると、さらに二つの効果が生じます。
一つは資産効果です。
株式や土地を持っている家計の資産価値が増えれば、家計は以前より豊かになったと感じ、消費を増やす可能性があります。
もう一つが担保価値の上昇です。
土地価格が上昇すれば、土地を所有する企業は、それを担保にしてより多くの資金を借りられる可能性があります。
したがって、
金融緩和
→ 金利低下
→ 株価・地価上昇
→ 資産効果
→ 消費増加
という経路と、
金融緩和
→ 地価上昇
→ 担保価値上昇
→ 銀行融資増加
→ 投資増加
という経路が同時に働く可能性があります。
この仕組みこそ、日本のバブル経済を考える際に非常に重要になります。
9.金融政策は為替レートも動かす
金融政策の影響は国内だけで完結しません。
日本の金利が低下すると、日本国債などの金融資産から得られる収益率が低下します。
たとえば、日本国債の金利が低下した一方で、アメリカ国債の金利が相対的に高ければ、
「日本国債よりアメリカ国債を保有したほうが有利ではないか」
と考える投資家が出てきます。
日本の金融資産を売ってドル建て資産を購入する動きが強まれば、円が売られてドルが買われます。
その結果、
金融緩和
→ 日本の金利低下
→ 円資産の相対的魅力低下
→ 円売り・ドル買い
→ 円安
という経路が生じます。
円安になれば、日本の輸出企業にとって海外市場での価格競争力が高まる一方、輸入品の価格は上昇しやすくなります。
したがって、
金融緩和 → 金利 → 為替 → 輸出入 → GDP・物価
という別の経路も存在します。
金融政策が国内の金利だけを動かす政策ではないことが、ここから分かります。
10.金融政策が効かないことも――「流動性のわな」
ここからが非常に面白いところです。
「金利を下げれば投資が増える」という説明は、一見すると非常に分かりやすい。しかし、現実には金利を下げても企業が投資しないことがあります。
その極端なケースとして有名なのが、ケインズのいう流動性のわなです。
経済主体が、
「今後、債券価格が下がって金利が上昇するかもしれない」
と考えているとします。
債券価格と金利には逆の関係があります。債券価格が下落すると、その利回りは上昇します。
そのため、投資家が将来の債券価格下落を予想していると、
「今、債券を買うと、あとで価格が下落して損をするかもしれない」
と考えます。
そこで、金融緩和によって貨幣が増えても、その貨幣を債券購入に回さず、現金や預金の形で保有することがあります。
つまり、
マネーサプライ増加
→ 現金・預金増加
→ 債券需要増加せず
→ 債券価格上昇せず
→ 長期金利低下せず
→ 投資増加せず
という状況です。
これが流動性のわなです。
この考え方は、1990年代以降の日本経済を考える際にも重要な意味を持ちました。
11.金利を下げても企業が投資しない、もう一つの理由
さらに重要なのが、企業自身の将来予想です。
たとえば、期待実質長期金利が10%から5%に低下したとします。
普通なら投資は増えそうです。
ところが、企業が、
「今後、製品は売れないだろう」
「人口が減って市場が縮小するだろう」
「物価は下がり続けるだろう」
と考えていたらどうでしょう。
設備投資による期待収益率が低ければ、金利が5%になっても投資をする意味がありません。
つまり、
投資=金利だけで決まるものではない
のです。
投資判断では、
となることが重要です。
資金調達コストが下がっても、期待収益率がそれ以上に低下すれば、投資は増えません。
これは1990年代の日本経済を理解するうえで極めて重要なポイントです。
12.なぜ1990年代の日本は、金融緩和をしても景気が回復しなかったのか
ここで、それまでの理論が日本経済の現実と結びつきます。
1990年代初頭、日本銀行は金融緩和政策を採用しました。しかし、期待されたほど設備投資は回復しませんでした。
その理由として、いくつもの要因が重なっていたとされています。
第一に、1980年代後半に企業が非常に楽観的な需要見通しを持ち、過剰な設備投資を行ったことです。
バブル崩壊後には、その過剰設備が企業にとって重荷になりました。
企業から見れば、
「すでに工場や設備が余っているのだから、新しい工場を作る必要はない」
という状態です。
第二に、物価下落が続いたことです。
物価が将来も下落すると予想されれば、企業にとって将来の売上高は名目額で見ても伸びにくくなります。名目金利が低下しても、予想される物価下落を考慮すれば実質的な金利負担はそれほど下がらない可能性があります。
第三に、地価下落によって土地担保融資が難しくなったことです。
バブル期には土地が重要な担保でした。
しかし、土地価格が下落すれば担保価値も下がります。
企業にとっては、
「借金をしたくても担保価値が下がっている」
という状況になります。
第四に、円高です。
円高が続けば、日本国内に工場を建設するよりも、海外に生産拠点を移すほうが有利になる企業も出てきます。
第五に、1997年頃から銀行が自己資本比率を高め、金融機関の健全性を維持しようとする動きが強まったことです。
その結果、銀行融資が抑制され、特に中小企業を中心に資金の利用可能性が低下しました。
つまり1990年代の日本では、
金利低下だけでは解決できない問題が同時に発生していた
のです。
13.「金融緩和が効かない」という問題を分解すると見えてくる
この点は、現在の経済を見る際にも非常に重要な視点になります。
金融緩和が効くためには、少なくとも次のような条件が必要になります。
| 条件 | 金融緩和が効く場合 | 効きにくい場合 |
|---|---|---|
| 金利 | 金利低下が投資を刺激する | すでに金利が非常に低い |
| 企業の期待 | 将来の需要を楽観 | 将来の売上げを悲観 |
| 設備 | 設備不足 | 過剰設備 |
| 金融機関 | 積極的に融資 | 貸し渋り・信用収縮 |
| 資産価格 | 株価・地価が上昇 | 資産価格が下落 |
| 物価期待 | 適度なインフレ期待 | デフレ期待 |
| 供給能力 | 需要増加に対応可能 | 供給制約が強い |
この表から分かるのは、金融政策の効果は「政策金利が何%か」だけでは決まらないということです。
金融政策とは、期待、資産価格、銀行、企業、家計、為替、供給能力が連鎖する複雑なシステムなのです。
14.なぜ「名目金利」だけを見てはいけないのか
金融政策を運営する際の難しい問題として、名目金利と実質金利の違いがあります。
実質金利はおおむね、
と考えることができます。
たとえば名目金利が5%でも、期待インフレ率が4%なら実質金利はおよそ1%です。
反対に、名目金利が1%でも、期待インフレ率がマイナス2%、つまり2%のデフレが予想されていれば、
となり、実質金利は3%程度になります。
だからこそ、名目金利が低いのに景気が刺激されないという現象が起こり得ます。
日本のデフレ期を理解するうえでも、この考え方は重要です。
15.金融政策には時間差がある
もう一つ重要なのが、金融政策の効果には時間がかかることです。
日本銀行が今日、金融緩和を実施したとしても、翌日に企業の工場が建設されるわけではありません。
金融緩和
↓
銀行間金利の変化
↓
貸出金利の変化
↓
企業・家計の意思決定
↓
設備投資・消費の変化
↓
生産・雇用の変化
↓
物価の変化
という複数の段階を経るからです。
そのため、金融政策の効果が現れるまでには時間差があります。
ここから政策運営の難しさが生まれます。
景気が悪化していることを確認してから金融緩和を始めても、その効果が現れるころには経済がすでに回復局面に入っているかもしれません。
逆に、インフレが明確になってから金融引締めを始めれば、政策効果が出るころにはインフレがさらに進んでいる可能性があります。
金融政策には、現在の経済を見るだけでなく、数か月後、数年後の経済を予測して動く必要があるという難しさがあります。
16.「名目金利が上がった=金融引締め」とは限らない
ここには、金融政策を考えるうえで非常に面白い逆説があります。
一般には、
「金利が上がった
→ 金融が引き締まった」
と考えがちです。
しかし、それが必ずしも正しいとは限りません。
インフレ期待が強くなれば、貸し手は貨幣価値の下落を嫌って、より高い名目金利を要求するようになります。
たとえば、
名目金利が5%
期待インフレ率が4%
なら、実質金利は1%程度です。
一方、
名目金利が3%
期待インフレ率が0%
なら、実質金利は3%です。
名目金利だけなら5%のほうが高いのに、実質的な金融引締め度は3%のほうが高いということもあり得ます。
したがって、
金融政策を見るときには、名目金利の数字だけでなく、期待インフレ率を考慮する必要がある
のです。
17.マネーサプライを金融政策の目標にする考え方
金融政策を運営する方法として、金利ではなくマネーサプライの動きを重視する考え方もあります。
マネーサプライとは、経済主体が保有する貨幣の量です。
狭義には現金通貨と預金通貨を合わせたものをM1とし、これに定期性預金などを加えたものがM2になります。さらにCDなどを含めた指標も用いられます。
この考え方が重視された背景には、1970年代のインフレがあります。
マネーサプライが過剰に増加すれば、経済の取引量や生産能力を超えて貨幣が供給され、最終的に物価上昇につながる可能性があります。
そこで、
マネーサプライの増加率を安定させる
→ 総需要の変動を安定させる
→ GDPや物価の変動を抑える
という発想が登場しました。
18.しかし、マネーサプライを一定にすればよいわけではない
ここにも重要な問題があります。
経済活動が活発になれば、決済のために必要な貨幣も増えます。
たとえば、企業の売上げが増え、取引件数が増えれば、それだけ決済手段としての貨幣需要も増加します。
反対に景気が後退して取引が減れば、貨幣需要も減少します。
そのため、
貨幣需要が変化しているのに、マネーサプライだけを機械的に一定にする
ことが必ずしも適切とは限りません。
さらに、貨幣需要そのものが大きく変動する場合には、マネーサプライを目標にする金融政策も難しくなります。
この問題が、日本の1980年代後半から1990年代初頭の金融政策を理解する重要なポイントになります。
19.バブル経済――金融政策と資産価格の危険な組み合わせ
ここで第9章の中心的なテーマの一つである、日本のバブル経済につながります。
1980年代前半、日本のマネーサプライの増加率は比較的安定していました。
ところが1980年代半ば以降、マネーサプライの増加率が大きく上昇し、ピーク時には二桁台となりました。資料では1990年第3四半期に13%程度まで上昇したことが示されています。
この時期には株価と地価が急激に上昇しました。
重要なのは、これが単純に「金融緩和=バブル」という一つの原因だけで説明されているわけではないことです。
金利低下による資産価格上昇、企業や投資家の期待、銀行の不動産融資競争、大企業の銀行離れ、金融自由化による銀行間競争など、複数の要因が重なっていました。
特に不動産融資は大きく増加しました。資料では1986年から1989年にかけて全国銀行の不動産融資が年平均25%という高い増加率を示し、1986年には37%、1989年には30%増加したことが示されています。
ここで、
金融緩和
→ 資金調達容易化
→ 不動産融資拡大
→ 地価上昇
→ 担保価値上昇
→ さらに借入可能
→ さらに不動産購入
→ さらに地価上昇
という自己増幅的な循環が形成されます。
これは単なる「土地が高くなった」という話ではありません。
資産価格の上昇そのものが、次の融資を生み、その融資がさらに資産価格を押し上げる。
ここに金融とバブルの恐ろしい関係があります。
20.バブルは「期待」によってさらに膨らむ
バブルが危険なのは、資産価格の上昇が単なる結果ではなく、次の価格上昇への期待を生むからです。
土地価格が上がる。
すると、
「土地はこれからも上がるだろう」
という期待が生まれます。
その期待によって土地を買う人が増えます。
土地を買うために銀行から借金をします。
土地価格が上昇します。
すると、
「やっぱり土地は上がる」
という期待がさらに強くなります。
これは典型的な自己実現的期待の構造です。
価格上昇への期待が実際の需要を増やし、その需要が価格を上昇させ、価格上昇がさらに期待を強めます。
こうして市場価格が企業収益や賃料、所得などのファンダメンタルズから離れていくことがあります。
資料でも、1980年代後半の株価・地価上昇には、金利低下などファンダメンタルズに関係する要因だけでなく、「価格が上がったから将来も上がる」という期待が含まれていた可能性が指摘されています。
21.バブル崩壊は、なぜ景気後退を深刻にしたのか
バブルが崩壊すると、単に株価や地価が下がるだけでは済みません。
土地価格が下落すると、土地を担保にしていた企業の借入余力が低下します。
株価が下落すれば、株式市場から資金を調達する企業にとっても資金調達環境が悪化します。
銀行には不良債権が増えます。
企業の資産価値が下がれば、企業のバランスシートも悪化します。
すると企業は投資を抑制します。
銀行は融資に慎重になります。
その結果、
資産価格下落
→ 担保価値低下
→ 銀行融資減少
→ 企業の資金調達難
→ 設備投資減少
→ 景気後退
→ 企業収益悪化
→ 不良債権増加
→ 銀行融資さらに縮小
という逆方向の循環が生まれます。
これは、バブル期の「上向きの循環」が、崩壊後には「下向きの循環」に反転したものと考えることができます。
資料では、1991年頃からマネーサプライの増加率が急速に低下し、1992年第3四半期から1993年第1四半期にはマイナスになったこと、その後の資産価格暴落が逆資産効果を通じて消費を冷やし、土地担保融資や企業の資金調達を困難にしたことが説明されています。
22.「金融政策の失敗」だけでは説明できない日本のバブル崩壊後
ここで重要なのは、1990年代の日本経済を「金融政策だけ」で説明しないことです。
バブル崩壊後には、
過剰設備
+ 地価下落
+ 株価下落
+ 不良債権
+ 銀行の貸し渋り
+ デフレ期待
+ 円高
+ 企業の投資意欲低下
が重なりました。
つまり、一つの歯車が壊れたのではなく、金融システムと企業活動と資産市場が同時に悪化したのです。
このため、金融緩和を実施して金利を下げても、企業が投資を増やすとは限りませんでした。
これは金融政策を考える際の非常に重要な教訓です。
政策手段が強力であることと、その政策が必ず目的を達成できることは同じではありません。
金融政策には、経済主体がどのように反応するかという「行動」の問題がついて回るからです。
23.金融政策を「金利」ではなく「経済全体の循環」として見る
ここまでの話を一本の流れにすると、金融政策の全体像が見えてきます。
金融緩和を行うと、
日本銀行が資金供給を増やす
↓
日銀当座預金が増える
↓
コールレートが低下する
↓
短期金融市場の金利が低下する
↓
銀行の資金調達コストが低下する
↓
貸出金利が低下する
↓
企業の設備投資・住宅投資が刺激される
↓
株価・地価などの資産価格にも影響する
↓
消費・投資・輸出などを通じて総需要が変化する
↓
生産・雇用・GDP・物価が変化する
という経路になります。
ところが、途中のどこかが機能しなければ、政策効果は弱くなります。
企業が悲観していれば投資が増えません。
銀行が融資に慎重なら信用が増えません。
デフレ期待が強ければ実質金利が十分に低下しません。
資産価格が下落していれば担保価値が上がりません。
供給能力が不足していれば、需要増加がGDPより物価に向かいます。
つまり金融政策は、一本のスイッチではなく、複数の歯車からなる巨大な伝達システムなのです。
24.この視点から見ると、バブルとデフレは表裏一体になる
1980年代後半と1990年代初頭を比較すると、非常に興味深い構造が見えてきます。
バブル期には、
金融緩和
→ 金利低下
→ 融資拡大
→ 地価・株価上昇
→ 担保価値上昇
→ さらに融資拡大
→ 投資・消費拡大
という上向きの循環が形成されました。
ところがバブル崩壊後には、
資産価格下落
→ 担保価値低下
→ 融資縮小
→ 投資減少
→ 景気悪化
→ 企業収益悪化
→ 不良債権増加
→ さらに融資縮小
という下向きの循環になりました。
同じ金融システムが、経済の局面によってまったく逆方向に作用するわけです。
ここに金融の難しさがあります。
金融は景気を支える「潤滑油」になる一方で、過度に膨張すると資産価格を押し上げ、バブルを形成することがあります。そしてバブルが崩壊すると、今度は金融システムそのものが景気後退を増幅させることがあります。
25.金融政策の本当の難しさ――「ちょうどいい金融」とは何か
金融政策で最も難しいのは、「金融緩和か金融引締めか」を決めることそのものではありません。
本当に難しいのは、どの程度の金融環境が経済にとって適切なのかを判断することです。
金融が緩すぎれば、資産価格の過度な上昇やインフレを引き起こす可能性があります。
しかし、金融が厳しすぎれば、企業の投資や家計の消費が抑制され、景気後退を深刻化させる可能性があります。
しかも政策効果には時間差があります。
「今、少し景気が悪いから金融緩和をする」という判断が、数年後には過度な需要や資産価格上昇につながっているかもしれません。
反対に、「今はインフレだから金融引締めをする」という判断が、実際に効果を発揮するころには景気後退を深刻化させているかもしれません。
金融政策とは、いわば未来を予測しながら現在の経済を操作する政策なのです。
26.金融政策を見るときの「五つの数字」
金融ニュースを見るときには、政策金利だけを見るのではなく、次の五つを一緒に見ると経済の状態がかなり理解しやすくなります。
第一は金利です。短期金利と長期金利がどう動いているかを確認します。
第二はマネーです。銀行預金などの貨幣量がどのように変化しているかを見ます。
第三は信用です。銀行が企業や家計にどれだけ積極的に融資しているかを確認します。
第四は資産価格です。株価や地価などが急激に上昇していないか、あるいは急落していないかを見ます。
第五は物価と実体経済です。GDP、雇用、賃金、物価などがどのように動いているかを確認します。
この五つを並べると、
金融政策
→ 金利
→ マネー・信用
→ 資産価格
→ 投資・消費
→ GDP・雇用・物価
という因果関係を追跡できます。
金融政策を理解するということは、中央銀行の発表文を読むことだけではありません。金融システムのどこで資金の流れが変化しているのかを追いかけることなのです。
27.金融政策から見た日本のバブル経済の本当の姿
日本のバブル経済を「土地と株が異常に高くなった時代」とだけ理解すると、その本質を見失います。
本当に重要だったのは、
金融
→ 融資
→ 資産価格
→ 担保価値
→ さらに融資
という循環です。
資産価格が上がったことで金融機関の貸出能力が高まり、それがさらに資産価格を押し上げるという循環が生じました。
そして崩壊すると、
資産価格
→ 担保価値
→ 融資
→ 投資
→ 景気
のすべてが逆方向に動きました。
この構造を理解すると、バブルとは単なる「投資家の熱狂」ではなく、金融システムと資産市場と実体経済が相互に増幅し合う現象であることが分かります。
そして、この問題は決して過去だけのものではありません。
株式、不動産、暗号資産など、資産価格が上昇し、それを担保にした借入やレバレッジが拡大し、その資金がさらに資産価格を押し上げる構造が生まれれば、時代や金融商品が変わっても同じような問題が発生する可能性があります。
28.金融政策は「お金を増やす政策」ではなく「期待を動かす政策」でもある
さらに一歩踏み込むと、金融政策の本質は単なる貨幣量の操作ではありません。
企業が、
「これから売上げが増える」
と考えれば投資します。
家計が、
「これから所得が増える」
と考えれば消費します。
投資家が、
「これから株価が上がる」
と考えれば株式を購入します。
銀行が、
「この企業なら成長する」
と考えれば融資します。
つまり経済活動のかなりの部分が、未来に対する期待によって決まっています。
そのため金融政策は、金利やマネーサプライを変えるだけでなく、
「中央銀行は今後どのような金融環境を維持するのか」
という市場参加者の予想にも影響します。
金融政策が難しいのは、中央銀行が直接操作できるのは金融システムの一部であり、その先にある企業や家計や投資家の行動は直接操作できないからです。
金融政策とは、ある意味では、人々の期待と行動を間接的に動かす政策なのです。
29.第9章から見えてくる金融の全体像
金融入門のここまでの議論を一つにつなげると、金融というものが非常に立体的に見えてきます。
最初は「銀行がお金を貸す」という単純な話だったものが、そこから、
預金
↓
銀行貸出
↓
日銀当座預金
↓
インターバンク市場
↓
金利
↓
債券市場
↓
株式・土地などの資産価格
↓
企業投資・家計消費
↓
為替レート
↓
輸出・輸入
↓
GDP・雇用・物価
へと広がっていきます。
そして、これらは一方向ではありません。
景気が悪化すれば企業の返済能力が低下します。
企業の返済能力が低下すれば銀行の不良債権が増えます。
銀行の経営が悪化すれば融資が減ります。
融資が減ればさらに企業活動が弱くなります。
つまり金融とマクロ経済は、巨大な循環構造を形成しています。
おわりに――金融政策とは「経済の血流」を調整する仕事である
金融政策を理解するうえで最も重要なのは、「金利を上げる」「金利を下げる」という表面的な動きを覚えることではありません。
重要なのは、その金利がなぜ動き、その変化が銀行、企業、家計、投資家の行動をどう変え、最終的に生産、雇用、物価へどう伝わるのかを理解することです。
金融緩和は、
日銀当座預金
→ 銀行間金利
→ 貸出金利
→ 投資・消費
→ 資産価格
→ 為替
→ 総需要
→ GDP・雇用・物価
という長い経路を通って経済に作用します。
しかし、その経路のどこかが詰まれば政策効果は弱くなります。企業が将来を悲観していれば投資は増えません。銀行が融資に慎重なら信用は拡大しません。デフレ期待が強ければ実質金利は下がりにくくなります。資産価格が下落すれば担保価値が低下します。そして、供給能力が不足していれば、需要の増加は生産ではなく物価上昇につながります。
日本のバブル経済とその後の長期停滞は、この金融政策の伝達経路が、上昇局面と下降局面でまったく違う働きをすることを示す重要な事例です。
バブル期には、
金融緩和 → 融資拡大 → 資産価格上昇 → 担保価値上昇 → さらに融資拡大
という循環が形成されました。
ところがバブル崩壊後には、
資産価格下落 → 担保価値低下 → 融資縮小 → 投資減少 → 景気悪化 → 不良債権増加 → さらに融資縮小
という逆循環が発生しました。
この二つは、まったく別の現象に見えて、実は同じ金融システムの表と裏です。
だからこそ金融を理解することは、単に銀行や証券市場を理解することではありません。金融とは、現在のお金を未来の経済活動へ配分する仕組みであり、その資金配分の方向が変わることで、企業の投資、家計の生活、資産価格、雇用、物価、そして経済全体の姿まで変わっていくのです。
そして金融政策とは、その巨大な資金循環が過熱しすぎたり、逆に縮みすぎたりしないように調整する仕事です。
この視点を持つと、中央銀行の金利変更や金融市場のニュースが、単なる金融専門家の話ではなく、企業の設備投資や住宅ローン、雇用、物価、そして私たちの日常生活にまでつながった出来事として見えてくるようになります。
