国際金融市場という言葉を聞くと、世界中の銀行や投資家が一か所に集まり、巨大な取引所でお金を売買しているようなイメージを持ちやすいかもしれません。しかし、実際の国際金融市場は、そのような一つの建物ではありません。ロンドン、ニューヨーク、東京などの金融中心地をネットワークで結び、銀行、企業、政府、投資家などが、預金、貸出、債券、為替などを国境を越えて取引する巨大な金融ネットワークです。
しかも国際金融市場の面白いところは、必ずしも「その国の通貨は、その国で取引される」という関係になっていないことです。たとえば、ロンドンにある銀行にドルを預け、そのドルを別の企業が借りることがあります。これはアメリカ国外で行われるドル取引です。こうして生まれたのが「ユーロ・ダラー」に代表されるユーロ市場です。
さらに、日本の銀行も1980年代に海外へ急速に進出し、ユーロ市場などを利用して世界規模の金融活動を展開するようになりました。しかし、国際業務が急拡大したことは、同時に金融機関のリスクを大きくすることにもなりました。1980年代の国際銀行活動の拡大と、その後のBISによる自己資本規制、さらにバブル崩壊後の日本の銀行の海外部門縮小という流れを見ると、国際金融市場の発展が金融機関の経営戦略そのものを変えていったことが分かります。
- 国際金融市場とは何か
- 国際金融市場が成立する条件
- ロンドンからニューヨークへ――国際金融中心地はなぜ移動するのか
- 「ユーロ・ダラー」とは何か
- なぜドルをアメリカではなくロンドンに預けるのか
- ユーロ市場は「世界の資金置き場」になった
- シンジケート・ローン――巨大な国際融資を「みんなで貸す」
- ユーロ・カレンシー債――世界からお金を集めるもう一つの方法
- 東京オフショア市場の登場
- 日本の銀行はなぜ海外へ進出したのか
- 日本の銀行は「世界の銀行」になろうとした
- しかし、国際金融の拡大は「リスクの国際化」でもある
- バブル崩壊で日本の銀行の海外戦略は反転する
- 国際金融市場の発展を一枚の図で考える
- 国際金融市場は「世界の銀行システム」と考えると分かりやすい
- 日本にとって国際金融市場とは何だったのか
- 国際金融市場の本質――「金融の国際化」とは、お金だけが国境を越えることではない
国際金融市場とは何か
外国との取引が増えると、国内の金融市場だけでは資金需要を処理できなくなります。企業が海外で工場を建設したり、外国企業を買収したり、海外で債券を発行したりすれば、国内とは異なる通貨と金融市場を利用する必要が出てきます。
銀行も同じです。銀行が輸出企業にドルを融資したり、海外支店のために資金を調達したり、外国の銀行から資金を借りたりする場合、国内市場だけではなく海外の金融市場にアクセスする必要があります。
こうして、各国の為替市場が相互につながり、さらに預金や貸出、証券取引なども国境を越えて行われるようになると、国際的な資金の流れが形成されます。
国際金融市場は、広い意味ではこうした国際的な金融活動が行われる場全体を指します。さらに、特定の都市に国際的な資金取引が集中すると、その都市が「国際金融中心市場」となります。そこには外国為替取引だけでなく、預金、コールローン、手形、短期証券、さらには長期の資本市場まで集積していきます。
ここで重要なのは、国際金融市場が単なる「海外版の銀行市場」ではないことです。
たとえば、ある銀行が国内で資金を余らせているとします。その銀行は、その資金を国内で運用するだけでなく、ロンドン市場などで運用することができます。反対に、国内で資金が不足していれば、海外市場から資金を調達することもできます。
つまり国際金融市場は、世界各国の金融機関の間で「余っている資金」と「必要としている資金」を国境を越えて結びつける市場でもあるのです。
国際金融市場が成立する条件
国際金融市場が発展するためには、単に大きな経済規模があるだけでは足りません。
まず、その国や都市の経済・政治が安定している必要があります。金融取引は信用を前提としているため、政治的な混乱や金融制度への不信が強ければ、国際的な資金は集まりにくくなります。
さらに、外国為替取引に対する規制が過度に厳しくないことも重要です。国境を越えて資金を自由に移動できなければ、国際金融市場として発展することは難しくなります。
銀行制度が健全であることも欠かせません。国際金融市場では巨額の資金が動くため、銀行の信用力が低ければ市場全体の信頼性も低下します。
加えて、資金を調達する市場だけでなく、集めた資金を運用できる市場が発達している必要があります。預金だけが集まっても、それを貸し出したり証券に投資したりする機会がなければ、金融中心地としての魅力は高まりません。
税制も重要です。預金利子などに対する課税や、銀行に課される支払準備などの制度上の負担が市場の競争力に影響します。
したがって国際金融市場の競争とは、単に「銀行がたくさんある都市」の競争ではありません。資金が集まり、運用され、国境を越えて移動しやすい制度的環境をどれだけ整えられるかという競争でもあります。
ロンドンからニューヨークへ――国際金融中心地はなぜ移動するのか
国際金融市場の歴史を見ると、金融中心地は固定されたものではありません。
第一次世界大戦以前、国際金融市場の中心だったのはロンドンでした。イギリスは世界的な貿易・海運・植民地ネットワークを持ち、ポンドが重要な国際通貨として利用されていました。そのため、世界各地から資金がロンドンに集まり、ロンドンを経由して再び世界各地へ資金が流れていきました。
ところが第一次世界大戦後、アメリカの経済力が急速に高まり、ニューヨークが国際金融市場として台頭します。第二次世界大戦後には、アメリカの経済力とドルの国際通貨としての地位を背景に、ニューヨークがロンドンを圧倒するようになりました。
しかし、ロンドンはそのまま衰退したわけではありません。
1950年代後半になると、ロンドンの銀行でドル建ての預金が増加していきます。ここから「ユーロ・ダラー市場」が大きく発展し、ロンドンは再び国際金融市場としての重要性を高めていきました。
これは国際金融市場を考えるうえで非常に興味深い現象です。
金融市場は「経済大国だから発展する」のではなく、資金が集まり、取引しやすい仕組みが存在する場所に発展するからです。
ロンドンは、自国通貨であるポンドだけを扱う市場ではなく、外国通貨であるドルを扱う市場として新しい役割を獲得しました。これが、後に世界の金融市場を大きく変える「ユーロ市場」の発展につながります。
「ユーロ・ダラー」とは何か
「ユーロ」という名前が付いているので、ユーロ通貨、つまり現在の欧州共通通貨ユーロと関係があると思いやすいのですが、ここでいう「ユーロ・ダラー」はユーロ通貨とは別物です。
ユーロ・ダラーとは、アメリカ国外の銀行に預けられているドル預金を指します。
たとえば、ロンドンの銀行にドル預金があれば、それがユーロ・ダラーです。ロンドンの銀行が、そのドルを別の企業に貸し出せば、国境を越えたドルの金融取引が成立します。
さらに面白いのは、この仕組みがヨーロッパだけに限定されなかったことです。
ある国の通貨が、その通貨を発行する国以外の銀行に預けられていれば、広い意味で「ユーロ・カレンシー」と呼ばれるようになりました。ドルならユーロ・ダラー、円ならユーロ円、ドイツ・マルクならユーロ・マルク、スイス・フランならユーロ・スイス・フランという具合です。後にはシンガポールや香港などにもこうした市場が発展しました。
ここで重要なのは、「ユーロ」という言葉が地理的な意味を超えていることです。
ユーロ市場とは、特定の国の通貨を、その通貨の発行国の外で取引する市場という考え方なのです。
なぜドルをアメリカではなくロンドンに預けるのか
では、なぜわざわざアメリカのドルをロンドンの銀行に預けるのでしょうか。
その理由の一つは、金融規制や税制などの違いです。
アメリカ国内の銀行には、預金に対する規制や支払準備、税制上の負担などがあります。一方、ロンドンでドルを扱う銀行には、アメリカ国内の銀行と同じ規制がすべて適用されるわけではありませんでした。
そのため、ロンドンではドル預金について、アメリカ国内より有利な条件で取引できる場合がありました。預金を受け入れる銀行にとっても、借り手にとっても、国内市場とは異なるメリットが生まれたのです。
これは金融自由化を考えるうえでも非常に重要なポイントです。
金融機関や資金は、規制が存在する場所に永久にとどまるとは限りません。ある市場の規制や税負担が重くなれば、別の場所でより有利な条件を求めることがあります。
つまり、
「金融機関を規制すれば、それで金融活動が国内にとどまる」とは限らない
のです。
国際金融市場の発展には、こうした金融規制をめぐる国際的な競争も大きく関係しています。
ユーロ市場は「世界の資金置き場」になった
ユーロ・カレンシー市場では、銀行が預金によって資金を集め、それを企業などへの貸出や証券投資に回します。
ここには国内銀行と同じ金融仲介の構造があります。
預金 → 銀行 → 貸出・証券投資
という仕組みです。
ただし、その舞台が国境を越えています。
さらにユーロ市場の資金は、一つの国の中だけで循環しているわけではありません。世界各地から資金が集まり、それが世界各地へ貸し出されます。ある国の銀行に集まったドルが、別の国の企業への融資に使われることもあります。
このため、ユーロ市場は国際的な資金循環の重要な経路になりました。
特に1970年代以降は、単なる短期の預金・貸出市場にとどまらず、中長期の融資市場へと発展していきます。これが「ユーロ・クレジット市場」です。
シンジケート・ローン――巨大な国際融資を「みんなで貸す」
国際金融市場の発展によって生まれた重要な仕組みが、シンジケート・ローンです。
たとえば、一つの企業や政府が1兆円規模の巨額資金を必要としたとします。一つの銀行がすべてを貸し出せば、その銀行に巨大な信用リスクが集中してしまいます。
そこで、複数の銀行が協調して融資団を組みます。
主幹事となる銀行などが融資をまとめ、複数の銀行が資金を分担する仕組みです。
これは国際金融にとって非常に合理的です。
銀行Aだけが1000億円を貸せば、銀行Aが大きなリスクを負います。しかし10行が100億円ずつ貸せば、一行あたりのリスクは小さくなります。
しかも国際金融では、融資先が外国企業や外国政府になるため、政治リスク、為替リスク、信用リスクなどが複雑になります。リスクを複数の金融機関で分散することは、国際金融市場を拡大させる重要な仕組みになりました。
ユーロ・シンジケート・ローンでは、通常、変動金利方式が利用されました。3か月や6か月ごとに金利を見直す仕組みにすることで、銀行側が負う金利変動リスクを抑えることもできます。
ユーロ・カレンシー債――世界からお金を集めるもう一つの方法
国際金融市場では、銀行から借りるだけでなく、債券を発行して世界の投資家から資金を集めることもできます。
これがユーロ・カレンシー債です。
企業や政府が外国通貨建ての債券を発行し、それを国際的な投資家が購入します。
銀行からの融資であるユーロ・シンジケート・ローンに対して、ユーロ・カレンシー債は投資家一般を対象とする点に違いがあります。
そのため、国際金融市場では、
銀行から借りるルート
と
世界の投資家から直接資金を集めるルート
が並行して発達しました。
これは、金融の「間接金融」と「直接金融」の国際化ともいえます。
企業にとってみれば、資金調達先が国内銀行だけではなく、世界の銀行、機関投資家、投資家へと広がったことになります。国際金融市場の発展は、企業の資金調達方法そのものを変えていったのです。
東京オフショア市場の登場
日本も国際金融市場の発展から無関係ではありませんでした。
東京を国際金融市場として発展させるため、1986年12月には東京オフショア市場が創設されました。
オフショア市場とは、国内市場とは異なる規制体系を適用することで、国際的な金融取引を行いやすくする仕組みです。
東京オフショア市場では、銀行がオフショア勘定を設け、その勘定を通じて海外との預金・貸付などの取引を行えるようにしました。国内の金融取引と国際金融取引を一定程度分離することで、国際金融市場としての東京の競争力を高めようとしたのです。
ここには、日本の金融自由化と国際化の関係を見ることができます。
日本国内では長い間、金融機関の業務や金利などが細かく規制されていました。しかし世界では金融市場の自由化が進み、ロンドンやニューヨークなどの国際金融市場が急速に発展していました。
そのままでは、日本企業が海外で資金を調達したり、日本の銀行が国際金融業務を拡大したりするうえで不利になる可能性があります。
そのため、国際金融市場としての東京を育成することは、日本の金融自由化政策とも結びついていました。
日本の銀行はなぜ海外へ進出したのか
1980年代になると、日本の銀行は世界各地に積極的に進出しました。
背景には、日本経済の成長と企業の海外展開があります。
日本企業が海外へ工場を建設し、海外子会社を設立すると、その企業を金融面から支える必要が生まれます。
たとえば、日本企業がアメリカに工場を建設した場合、日本国内の本社から資金を送るだけでなく、現地で融資を受けたり、現地通貨を調達したりする必要があります。
そこで日本の銀行も海外支店や現地法人を設置し、
日本企業の海外進出 → 日本企業の海外金融需要 → 日本の銀行の海外進出
という循環が生まれました。
最初は、日本の輸出入に関係する貿易金融や、日本企業の海外支店・子会社への融資が中心でした。しかし次第に業務は拡大し、海外企業や外国政府への融資、国際的な債券発行の支援、ユーロ市場でのシンジケート・ローンなどにも進出するようになりました。
日本の銀行は「世界の銀行」になろうとした
1980年代の日本の銀行の国際展開を理解するうえで重要なのは、単に「日本企業について海外へ行った」というだけではないことです。
日本の銀行自身が、世界の金融市場で資金を調達し、世界の企業や政府に資金を融通する国際金融機関へ変化しようとしていました。
ユーロ・シンジケート・ローンでは、日本の銀行が有力な貸し手となり、しばしば幹事行を務めました。また、ユーロ・カレンシー債の発行でも主幹事・幹事として関与するケースが増えました。
つまり日本の銀行は、
「日本企業にお金を貸す銀行」
から、
「世界中から資金を集め、世界中に資金を供給する銀行」
へと活動範囲を広げていったのです。
これは日本の金融史における大きな転換でした。
しかし、国際金融の拡大は「リスクの国際化」でもある
国際金融業務が拡大すると、銀行はより大きな利益機会を得られます。しかし同時に、リスクも国境を越えて広がります。
国内企業だけに融資していれば、銀行が分析すべきなのは基本的に国内企業の信用力や国内経済です。
ところが海外融資になると、そこに為替リスク、外国政府の政策変更、政治情勢、外国の金利、海外金融市場の変動などが加わります。
さらに、世界中の銀行が同じ市場で活動するようになると、一つの国の金融危機が他国の銀行に影響を及ぼす可能性も高くなります。
1980年代に日本の銀行が国際業務を急速に拡大したことに対して、欧米諸国からは国際的な銀行競争の公平性や銀行経営の健全性について問題が提起されました。
そこで重要になったのが、BIS(国際決済銀行)を舞台とする自己資本比率規制です。
銀行がどれだけ大きな融資を行っているかだけではなく、それに見合う自己資本を保有しているかを国際的な基準でチェックするという考え方です。
これは国際金融市場の発展における重要な転換点でした。
「世界中で自由に金融業務を行えるようにする」だけではなく、
「世界中で金融業務を行う銀行を、どのような共通ルールで安全に運営させるのか」
という問題が登場したからです。
バブル崩壊で日本の銀行の海外戦略は反転する
ところが、日本の銀行の国際展開は、その後大きく方向を変えます。
1980年代には海外拠点が急速に増加しましたが、1990年代に入るとBIS規制の影響などから拡大の勢いが鈍り、さらに日本のバブル経済が崩壊すると、日本の銀行そのものの経営問題が深刻になりました。
国内の不良債権問題を抱えた銀行にとって、海外事業を積極的に拡大し続けることは難しくなります。
その結果、海外支店や現地法人の数は減少傾向に転じました。資料では1999年6月末の海外支店数は253、現地法人数は312とされ、2年間でそれぞれ33、95減少したとされています。また、海外部門の縮小は銀行の経営再建計画とも結びついていました。
さらに、日本の金融不安や金融不祥事などを背景として、日本の銀行が国際市場で資金を調達する際に、海外の一流銀行より高い金利を求められるケースも出てきました。いわゆる「ジャパン・プレミアム」です。
これは非常に象徴的な出来事です。
1980年代、日本の銀行は「世界の巨大銀行」として海外に進出していました。それが1990年代になると、今度は海外の金融市場から日本の銀行の信用力を厳しく評価される側になったのです。
国際金融市場では、過去の経済力や国内での規模だけで信用を維持できるわけではありません。市場参加者から現在の経営状態を評価され、その評価が調達コストに反映されるのです。
国際金融市場の発展を一枚の図で考える
ここまでの流れを整理すると、国際金融市場の発展には、次のような連鎖があります。
| 段階 | 起きたこと | 金融市場への影響 |
|---|---|---|
| 世界貿易の拡大 | 国境を越えた取引が増える | 外国為替取引が拡大 |
| 国際的な資金移動 | 海外への投資・融資が増える | 国際金融市場が発達 |
| 金融中心地の形成 | ロンドン、ニューヨークなどに取引が集中 | 国際金融センターが成立 |
| ユーロ市場の発展 | 自国以外の通貨を海外で取引 | 国境を越えた金融仲介が拡大 |
| シンジケート・ローン | 複数銀行が巨額融資を分担 | 国際的な信用供与が拡大 |
| 国際債券市場 | 世界の投資家から直接資金調達 | 直接金融が国際化 |
| 日本の銀行の海外進出 | 邦銀が世界各地に拠点を設置 | 日本の金融機関が国際化 |
| BIS規制 | 国際銀行の健全性を共通ルールで管理 | 金融自由化と金融規制が同時進行 |
| バブル崩壊 | 日本の銀行経営が悪化 | 海外事業が縮小 |
この流れから見えてくるのは、国際金融市場の発展は「自由化」だけの歴史ではないということです。
金融自由化によって国境を越えた資金移動が活発になる一方、その自由化によって金融リスクも広がります。したがって、市場が自由になるほど、共通のルールやリスク管理の重要性も高まります。
これは今日の国際金融を考えるうえでも非常に重要な視点です。
国際金融市場は「世界の銀行システム」と考えると分かりやすい
国際金融市場を理解するためには、「世界規模の銀行システム」と考えてみると分かりやすくなります。
日本の企業が海外で資金を必要とする。
↓
日本の銀行が海外支店を通じて融資する。
↓
銀行自身がユーロ市場などで資金を調達する。
↓
その資金がロンドンやニューヨークなどを経由して世界から集まる。
↓
さらに複数の銀行がシンジケートを組み、巨大な融資を行う。
↓
企業はその資金で海外工場を建設したり、外国企業を買収したりする。
↓
その結果、さらに国境を越えた貿易・投資が増える。
このように考えると、国際金融市場は単なる「お金の売買市場」ではなく、世界の産業活動を資金面から支える巨大な循環システムであることが分かります。
そして、この循環が大きくなればなるほど、金融市場の一部で発生した問題が別の国へ伝わる可能性も高くなります。
だからこそ、国際金融市場の発展とともに、BISによる国際的な銀行規制、各国中央銀行間の協力、国際的な金融監督などの重要性も高まっていきます。
日本にとって国際金融市場とは何だったのか
日本の国際金融市場への関わりを考えると、1980年代と1990年代では、その意味が大きく変わっています。
1980年代の日本は、世界有数の経済大国となり、日本企業の海外進出も急速に拡大しました。そのため、日本の銀行も世界各地へ進出し、ユーロ市場などを舞台に国際的な資金調達や融資を行うようになりました。
これは、日本の金融機関が「国内金融機関」から「国際金融機関」へ変化する過程でした。
しかし1990年代には、バブル崩壊、不良債権問題、金融機関の経営悪化が進み、その海外展開は縮小へ向かいます。
この歴史は、金融機関の国際競争力が単純に「海外拠点を何店舗持っているか」で決まるものではないことを示しています。
海外に支店を出すには資本が必要です。現地で融資するには信用力が必要です。国際市場から資金を調達するには、市場から高い評価を受けなければなりません。
つまり国際金融とは、国内で築いた金融機関としての信用力を、世界市場でも維持できるかという競争でもあります。
国際金融市場の本質――「金融の国際化」とは、お金だけが国境を越えることではない
国際金融市場の発展を歴史的に眺めると、非常に大きな変化が見えてきます。
かつて金融は基本的に国内の銀行、企業、家計、政府の間で行われていました。しかし貿易や投資が国際化すると、金融も国際化します。
そして一度国際化が進むと、単純に「日本のお金が海外へ出ていく」という話ではなくなります。
ドルがロンドンに預けられ、ロンドンからアジアへ貸し出される。
日本の銀行がロンドン市場から資金を調達し、第三国の企業へ融資する。
外国企業がユーロ市場でドル建て債券を発行し、日本の投資家が購入する。
このように、通貨、銀行、企業、投資家、金融市場の所在地がバラバラになっていくのです。
これが現代的な国際金融の大きな特徴です。
そして、この国際化は「自由化」と「規制」の関係を新しい段階へ進めました。
金融市場を自由にすれば、資金はより効率的に必要な場所へ移動できます。しかし、同時にリスクも国境を越えて移動します。そこで、国際金融市場には市場競争だけでなく、自己資本規制やリスク管理、中央銀行間の協力、金融監督などが必要になります。
国際金融市場の発展とは、金融の自由化の歴史であると同時に、金融リスクを国際的に管理する仕組みを作ってきた歴史でもある。
この視点を持つと、ロンドン、ニューヨーク、ユーロ市場、日本の銀行の海外進出、BIS規制、そしてバブル崩壊後の邦銀の海外撤退という一見ばらばらな出来事が、一つの大きな流れとしてつながって見えてきます。
