金融制度を大きく変えるとき、法律や制度を変えるだけでは十分ではありません。重要なのは、金融をどのような原理で動かすのかという考え方そのものを変えることです。
1990年代後半の日本で進められた金融ビッグバンは、まさにそのような改革でした。
戦後日本の金融制度は、行政が金融機関を監督し、金融機関同士の過度な競争を抑えながら、業界全体の安定を維持する仕組みを基本としていました。ところが、金融の国際化、金融自由化、バブル崩壊、金融機関の不良債権問題などによって、その仕組みが次第に機能しにくくなります。
そこで目指されたのが、「市場原理に立脚した金融システム」への転換でした。
この転換を象徴する言葉が、「フリー・フェアー・グローバル」です。
「フリー・フェアー・グローバル」という三つの原則
金融ビッグバンの基本理念は、
フリー――――自由な市場
フェアー―――公正で透明な市場
グローバル―――国際的に開かれた市場
という三つの方向に整理できます。
一見すると、「規制をなくして自由にする」という単純な改革に見えます。しかし実際には、もっと複雑です。
自由な競争を実現するには、競争のルールが必要です。市場参加者が公平に判断するには、企業や金融機関の情報が十分に公開されていなければなりません。さらに、金融機関が自由に活動できるようになるほど、破綻や過度なリスクテイクによって金融システム全体が不安定になる可能性もあります。
そのため、金融ビッグバンが目指したのは、
「規制をなくすこと」ではなく、「規制によって金融機関を横並びに管理する仕組みから、公正な市場を成立させるためのルールへ移行すること」
だったと理解すると分かりやすくなります。
戦後日本の金融システムはどのようなものだったのか
金融ビッグバンの意味を理解するためには、それ以前の金融制度との違いを見る必要があります。
戦後日本では、金融行政は基本的に行政主導型の規制市場システムとして運営されてきました。金融機関が安定的に存続できるよう、金利、業務分野、参入などについて一定の規制が設けられていました。
これは単純に「古い制度だったから悪かった」という話ではありません。
戦後の日本は、資本不足の状態から急速な工業化を進めました。企業には設備投資のための大量の資金が必要であり、銀行はその資金を供給する重要な役割を担っていました。
その一方で、銀行などの金融機関が相次いで破綻すれば、企業への融資も預金者の資産も危うくなります。
そこで行政が金融機関の競争をある程度抑えながら、金融システム全体の安定を確保することには一定の合理性がありました。
ところが、経済が成熟し、金融市場が国際化すると、この仕組みが別の問題を生み始めます。
安定を優先した金融行政が抱えた問題
金融機関の経営を安定させるために競争を抑制すると、金融機関が経営努力をする必要性も弱くなります。
たとえば、ある銀行が新しい金融商品を開発して顧客を獲得しようとしても、他行との競争を行政が強く抑えているなら、大胆なサービス開発を行う意味は小さくなります。
金融機関が、
「他社よりも優れたサービスを提供する」
よりも、
「他社と大きく違わないようにする」
ことを重視するようになれば、金融業界全体の活力が低下する可能性があります。
このような状況は、金融機関同士の「横並び意識」を強めます。
さらに、経営が悪化した金融機関についても、行政が何らかの形で支えることが期待されるようになると、経営者がリスクを慎重に管理するインセンティブが弱くなる可能性があります。
ここにモラル・ハザードの問題が生じます。
つまり、
「どうせ最後には行政が助けてくれる」
という期待が生まれれば、金融機関自身による経営規律が弱くなってしまう可能性があるのです。
「市場規律」と「自己責任」が中心になる
金融ビッグバンが目指した新しい金融システムでは、金融機関を行政が一律に守るのではなく、市場そのものが金融機関を評価することが重視されます。
市場で評価されるということは、金融機関が提供するサービス、経営の健全性、収益性、リスク管理などが投資家や顧客から評価されるということです。
優れた金融機関には資金や顧客が集まり、経営に問題のある金融機関は市場から厳しい評価を受けます。
これが市場規律です。
そして、それと対になっているのが自己責任の原則です。
自由に経営できる以上、その結果についても金融機関自身が責任を負う。
この考え方は、従来の行政主導型システムからの大きな転換でした。
ただし、「市場に任せればすべて解決する」わけではない
ここに金融市場の難しさがあります。
一般の商品であれば、ある企業の商品が売れなければ、その企業が市場から退出することで済む場合があります。
しかし金融機関の場合、事情が違います。
銀行が破綻すれば、預金者だけでなく、その銀行を利用している企業の決済や資金調達にも影響します。さらに、金融機関同士は資金取引や決済ネットワークによって結びついているため、一つの金融機関の問題が他の金融機関へ波及する可能性があります。
したがって、
市場規律を強めることと、金融システムの安定を維持すること
を同時に実現しなければなりません。
ここで行政や監督当局の役割が消えるわけではありません。
むしろ役割が変わります。
従来型の金融行政では、「金融機関を安定的に存続させること」が大きな役割でした。
市場原理を重視する金融システムでは、
「市場が公正に機能する条件を整えること」
が重要になります。
「フェアー」とは、単に「仲良く競争する」ことではない
市場を自由化すると、金融機関同士の競争が激しくなります。
しかし、競争が激しくなるほど、情報の非対称性や不公正な取引の問題も重要になります。
たとえば、企業について詳しい情報を持っている人と、何も知らない投資家が同じ市場で取引していたら、公平な競争とはいえません。
そこで重要になるのが、
情報開示、会計制度、監査、公正取引ルール、市場監視
です。
金融ビッグバンでは、こうした「フェアー」な市場を実現するための制度整備が重要な課題になりました。
つまり、自由化とは「ルールをなくすこと」ではありません。
むしろ、
古いルールを減らす一方で、新しい市場ルールを整備する
という性格を持っていました。
これは金融自由化を理解するうえで非常に重要なポイントです。
「グローバル」とは、日本の金融市場を世界に開くこと
もう一つの柱が「グローバル」です。
1990年代になると、金融取引は国境を越えて急速に拡大していました。
企業は世界中から資金を調達し、投資家は世界各国の株式や債券に投資できます。金融機関も海外市場に進出し、外国の金融機関が日本市場に参入します。
こうした環境で、日本だけが国内の金融機関を行政によって保護し続ければ、日本の金融市場そのものが国際競争から取り残される可能性があります。
そのため、金融市場を海外に開き、外国金融機関との競争を受け入れ、国際的な金融取引に対応できる制度を整えることが必要になりました。
つまり「グローバル」とは単なる国際化ではなく、
「日本の金融市場そのものを世界の金融市場の一部として機能させる」
という考え方だったといえます。
「市場原理に立脚した金融システム」への転換
この改革の核心を最も端的に表現しているのが、市場原理に立脚した金融システムという考え方です。
旧来型のシステムでは、
行政
↓
金融機関を規制・監督
↓
金融機関の安定的存続
↓
金融システムの安定
という構造が強く存在しました。
これに対して新しいシステムでは、
金融機関の自由な活動
↓
市場での競争
↓
投資家・顧客による評価
↓
自己責任と市場規律
↓
公正なルールと監視による市場の健全性確保
という構造が重視されます。
この違いは、金融機関の経営者にとって非常に大きな意味を持ちます。
「行政に守られているから経営できる」のではなく、
「顧客から選ばれ、投資家から評価されるから経営できる」
という世界になるからです。
金融監督の役割も「事前調整」から変わる
この転換に伴って、金融監督の考え方も変わります。
旧来型の行政では、問題が起きる前に行政が金融機関の行動を細かく調整することが重視されました。
ところが、市場原理を重視するなら、行政が金融機関の経営を細部まで決めることはできません。
そこで、
市場規律+自己責任+公正なルール+市場監視
という組み合わせが必要になります。
金融機関には自由に活動する権利がある。
しかし、その自由には責任が伴う。
市場参加者には自由に金融商品を選ぶ権利がある。
しかし、その判断に必要な情報が提供されなければならない。
そして金融機関が破綻しても、その破綻が金融システム全体を崩壊させないような安全網が必要になる。
このように考えると、金融ビッグバン後の金融行政は、単純な「規制緩和」ではなく、市場を機能させるための制度設計へと変化したと理解できます。
三つの改革課題に集約される
この新しい金融システムを実現するための改革課題は、大きく三つに整理できます。
第一は、多様な金融サービスを展開し、市場競争によって価格が決まる仕組みをつくることです。業務規制を緩和・撤廃し、金融機関がより自由にサービスを提供できるようにします。手数料などについても市場競争を導入していきます。
第二は、公正な取引のためのルールを整備し、市場監視体制を確立することです。自由化された市場で不正や情報格差が放置されれば、金融市場そのものへの信頼が失われます。
第三は、金融システムの健全性を維持することです。市場競争を強めながら、金融機関の破綻がシステム全体に波及することを防がなければなりません。
つまり、
自由化 → 競争 → 淘汰
だけではなく、
自由化 → 競争 → 市場規律 → 公正なルール → 金融システムの安定
という全体像で考える必要があります。
「護送船団」から「競争する金融機関」へ
この変化を企業経営の視点から見ると、さらに面白くなります。
護送船団方式では、金融機関が同じような商品を提供し、同じような金利・手数料体系で活動することが可能でした。
しかし市場原理が強くなると、それでは生き残れません。
「個人金融に強い銀行」
「企業金融に強い銀行」
「投資銀行業務に特化する金融機関」
「資産運用に強い金融機関」
「地域金融に特化する金融機関」
というように、それぞれが自分の得意分野を明確にする必要が出てきます。
その結果として、金融機関の合併やグループ化、業務提携なども進んでいきます。
これは金融ビッグバンが単なる「制度改革」ではなく、金融機関のビジネスモデルを変える改革だったことを意味します。
金融ビッグバンの本当の意味――「金融機関」から「市場」へ
この改革を一つの言葉で捉えるなら、
「金融機関中心の金融システム」から「市場中心の金融システム」への転換
と表現できます。
従来は、銀行や証券会社など個々の金融機関を行政が監督し、その安定を確保することが金融行政の中心でした。
これに対して新しい金融システムでは、金融機関の自由な活動を認め、その結果を市場が評価することが重視されます。
行政は市場に代わって金融機関の優劣を決めるのではなく、
「公正な競争ができているか」
「必要な情報が公開されているか」
「不正取引が行われていないか」
「金融システム全体が危険にさらされていないか」
を監視する役割へと重点を移します。
この意味で金融ビッグバンは、単なる「銀行改革」ではありません。
金融に対する国家の関わり方そのものを変える改革だったのです。
自由化の先にあるもの
もっとも、ここには大きな難題が残ります。
市場原理を導入すれば、必ず効率的で安全な金融システムになるわけではありません。
競争が激しくなれば、金融機関はより大きなリスクを取る可能性があります。金融商品の複雑化も進みます。情報を十分に持たない利用者が不利な商品を選択する可能性もあります。
そして金融機関が破綻すれば、その影響が他の金融機関に波及することもあります。
だからこそ、金融ビッグバンが目指した新しい金融システムでは、
市場規律と自己責任
だけでなく、
公正なルールと監視
さらに、
金融システムを守るための安全網
が不可欠になります。
これは、前章で扱われた金融機関の破綻処理や信用秩序維持政策ともつながる重要な論点です。
金融制度改革の本質は、「行政か市場か」という二者択一ではありません。
むしろ、
市場にできることは市場に任せる。しかし、市場だけでは処理できない問題については、適切なルールと監督によって支える。
という新しい役割分担をどう設計するかにあります。
この視点から見ると、「フリー・フェアー・グローバル」という三つの言葉は、単なる改革スローガンではありません。
自由に競争できること、公正に競争できること、そして世界とつながった市場であること。そこに自己責任と市場規律を組み合わせ、同時に金融システムの安定を守ること。
これが、1990年代後半の日本が目指した金融制度の新しい基本思想だったと理解できます。
