銀行にお金を預けると、かつては「預け先によって金利を競争させる」という発想が現在ほど強くありませんでした。むしろ戦後の日本では、預金金利を制度によって規制することが金融システムの重要な仕組みになっていました。
ところが、経済の成長、金融市場の発達、企業の資金調達方法の変化、金融機関同士の競争激化などによって、預金金利を一律に決めておくことが次第に難しくなります。そこで大口預金から段階的に自由化が進み、最終的にはほぼ全面的な自由金利へと移行していきました。
この変化は、単に「銀行の金利が自由に決められるようになった」という話ではありません。金融市場において、お金そのものの価格を誰が、どのように決めるのかが変わったという、金融システムの大きな転換でした。
預金金利とは「お金を銀行に貸した代金」である
預金というと、「銀行にお金を預けて保管してもらう」というイメージがあります。しかし金融の仕組みから見ると、それだけではありません。
銀行に100万円を預ければ、その100万円は預金者から見れば銀行に対する債権です。一方、銀行から見ると預金は銀行が預金者に返さなければならない負債です。銀行は集めた預金を企業への貸出や有価証券への投資などに活用します。
したがって、預金金利は基本的には、
預金者が銀行に資金を提供することに対して銀行が支払う「資金の価格」
と考えることができます。
たとえば100万円を年0.5%で1年間預ければ、単純化すれば5,000円の利息が発生します。この5,000円は、銀行が預金という資金を利用するためのコストです。
一方、銀行はその資金を企業などに貸し出し、より高い金利を受け取ります。
たとえば、
預金金利0.5% → 銀行 → 貸出金利2.0%
という関係なら、単純化すれば1.5%程度の差が銀行の利ざやになります。
もちろん実際には、貸倒れのリスク、店舗や人件費、システム費用、預金保険料などさまざまなコストがあります。そのため「貸出金利-預金金利」がそのまま銀行の利益になるわけではありません。
それでも、預金金利と貸出金利が密接に関係していることは重要です。預金金利を自由にすると、銀行の資金調達コストも市場環境に応じて変化するからです。
なぜ戦後日本では預金金利を規制したのか
戦後の日本では、預金金利について長い間、規制が行われていました。その背景には、戦後の経済成長を金融面から支えるという考え方がありました。
経済を復興・成長させるためには、企業が設備投資を行わなければなりません。そのためには大量の資金が必要です。
そこで金融機関が比較的低い金利で企業に資金を供給できるようにすることが重要になります。
しかし、銀行同士が預金獲得競争を始めれば、銀行は預金者に高い金利を支払わなければなりません。預金金利が上昇すれば銀行の資金調達コストが上昇し、それは最終的に貸出金利にも影響します。
そこで戦後の日本では、預金金利を低く抑えることによって金融機関の資金調達コストを抑え、企業への貸出を低い金利で行いやすくするという仕組みが採用されました。
1947年12月には臨時金利調整法が制定され、預金金利に規制が設けられました。
これは当時の日本経済にとって一定の意味を持つ制度でした。高度成長期の日本では、企業の設備投資資金を安定的に供給することが経済発展の重要な条件だったからです。
しかし「金利を固定する仕組み」は競争の時代になると問題を抱える
預金金利を規制する仕組みは、金融機関の競争を抑えるという特徴を持っていました。
同じ種類の預金なら、基本的にどの金融機関に預けても金利が大きく違わないため、預金者が金利の高い銀行へ資金を大量に移すという競争が起こりにくかったのです。
ところが経済が成熟し、金融市場が発達すると、この仕組みは次第に現実と合わなくなります。
企業や機関投資家が銀行預金だけではなく、債券、現先取引、短期金融市場などを利用するようになったからです。
ここで重要なのが「市場金利」という存在です。
銀行預金の金利が制度によって低く抑えられていても、金融市場では市場参加者同士の需給によって自由に金利が決まります。
すると、
「銀行に預けておくより、市場で運用したほうが有利ではないか」
という判断が生まれます。
特に大企業などが保有する巨額の余裕資金では、この金利差が無視できません。
その結果、規制された預金市場と自由な金融市場との間に資金移動が起こるようになります。
CDの登場――銀行預金そのものが「市場商品」になった
預金金利自由化の重要な出発点の一つが、1979年に創設された譲渡性預金(CD)でした。
通常の預金は、銀行との預金契約に基づいて保有します。しかしCDは、一定の条件のもとで第三者に譲渡できる預金です。
つまり、単純な「銀行に置いておくお金」から、
市場で売買できる金融商品としての預金
へと性格が変わります。
当初は最低発行金額が5億円と非常に大きく設定されていました。これは主として企業などの大口資金を対象とした商品だったためです。
なぜ、このような商品が必要になったのでしょうか。
背景には、企業の大口余裕資金が銀行預金から現先市場などへ流れるようになったことがあります。銀行にとっては、預金者に高い金利を支払うことはコストになります。しかし、低い金利のままでは預金が市場へ流出してしまいます。
そこで銀行にとっては、
「高い金利を払ってでも預金を確保したほうがよい」
という状況が生まれました。
CDは、こうした市場との競争に銀行が対応するための重要な金融商品でした。
預金金利自由化は「大口」から始まった
預金金利の自由化は、一気にすべての預金を自由にする形では進みませんでした。
まず市場との競争が強い大口預金から自由化が進み、その後、一般の定期性預金へと広がっていきます。
昭和60年代以降には、大口定期預金や市場金利連動型預金(MMC)などが登場し、預金金利の市場連動性が高まりました。
そして1993年6月以降には小口定期預金も含めて全面的な自由金利化が進みます。
さらに流動性預金についても自由化が進み、1994年10月以降、当座預金などの無利息預金を除いて金利自由化が進展しました。最終的に1998年4月からは、預金金利についての規制がなくなりました。
つまり、
規制金利
→ 大口預金の自由化
→ 市場金利連動型商品の登場
→ 小口預金の自由化
→ 流動性預金の自由化
→ 原則自由金利
という段階を踏んで変化したわけです。
「金利自由化」は銀行同士の競争を激しくした
金利自由化によって、預金者は金融機関を選ぶ際に金利を比較することができるようになりました。
これは預金者にとって単純に「高い金利を選べる」という話だけではありません。
銀行にとっては、預金者から選ばれるために、
「どのような金利を提示するか」
を自ら考えなければならなくなります。
従来のように「法律で決められた金利を提示する」という環境から、
市場から資金を調達するために、自分で価格を設定する環境
へ移行したのです。
これは銀行経営そのものを変化させます。
預金金利を高くすれば預金を集めやすくなります。しかし銀行の資金調達コストは上昇します。
反対に預金金利を低くすれば資金調達コストは抑えられますが、預金者が別の金融機関や金融商品へ資金を移す可能性があります。
つまり銀行は、
「預金を集めたい」
「しかし高い金利は払いたくない」
という二つの要求を同時に満たさなければならなくなりました。
ここに、現代の銀行経営の難しさがあります。
郵便貯金との競争というもう一つの問題
預金金利の自由化には、もう一つ重要な問題がありました。
それが民間金融機関と郵便貯金との関係です。
銀行などの民間金融機関と郵便貯金の金利に大きな差が生じれば、預金者が一方から他方へ大量に資金を移す可能性があります。
そこで金利自由化が進むなかでは、民間預金と郵便貯金の間で資金が大きくシフトしないよう、郵便貯金金利を民間金利に連動させるルールが整備されていきました。
これは、日本の金融自由化が単純に「規制を撤廃する」というだけの問題ではなかったことを示しています。
金融市場には、
銀行
郵便貯金
証券市場
短期金融市場
企業
家計
という多くの主体が存在しています。
一つの金利を変更すると、別の市場へ資金が移動する可能性があります。
したがって金利自由化とは、個々の金融商品について自由にするだけではなく、金融システム全体の資金移動を市場メカニズムに委ねていく改革だったのです。
金利自由化によって銀行経営は「市場リスク」を強く意識するようになった
金利規制が存在していた時代には、銀行にとって預金金利が大きく変動するリスクは現在より小さなものでした。
ところが自由化されれば、預金金利も市場環境によって動きます。
たとえば銀行が、
低い金利で集めた預金 → 長期間、固定金利で貸し出す
という経営をしていたとします。
その後、市場金利が上昇するとどうなるでしょうか。
銀行は新しい預金を集めるために、より高い預金金利を提示しなければならなくなる可能性があります。
ところが過去に行った長期固定金利の貸出から得られる収益は、簡単には増えません。
すると、
預金金利は上昇する
↓
貸出金利はすぐには上げられない
↓
銀行の利ざやが縮小する
という問題が発生します。
逆に市場金利が低下すれば、預金金利が下がる一方で、過去の高金利貸出から比較的高い収益を得られる場合があります。
このように、金利自由化は銀行に「金利を自由に決められる」という自由を与える一方で、金利変動による経営リスクも引き受けさせることになりました。
これは金融機関のリスク管理という観点から非常に重要な変化です。
預金金利自由化は「金融市場の民主化」でもあった
預金金利自由化をもう少し大きな視点から見ると、これは「お金の価格形成を制度から市場へ移す改革」と理解できます。
規制金利の時代には、金融機関が預金者に支払う金利について、制度が強い影響力を持っていました。
自由化後には、
資金を提供する側の家計・企業
と
資金を必要とする側の企業・政府・金融機関
との関係が、市場を通じてより直接的に金利へ反映されるようになります。
資金が不足すれば金利は上昇しやすく、資金が余れば金利は低下しやすい。金融機関同士が資金を奪い合えば、その資金調達コストも変化します。
もちろん現実の金利は、中央銀行の金融政策、景気、物価、信用リスク、国際金融市場など、多くの要因によって決まります。
それでも金利自由化によって、「お金の値段」を市場の需給に近づける方向への転換が進んだことは、日本の金融史における大きな意味を持っています。
「預金金利の自由化」は金融機関の境界を変えた
さらに重要なのは、預金金利自由化が金融機関同士の競争を変えたことです。
銀行だけを見ていると、「預金金利が自由になった」という話に見えます。しかし実際には、銀行は証券会社、短期金融市場、郵便貯金などと資金をめぐって競争するようになりました。
たとえば企業が100億円の余裕資金を持っていたとします。
以前なら、その資金を銀行預金に置くことが当然の選択肢だったかもしれません。
しかし金融市場が発達すると、
「銀行預金にするか」
「CDにするか」
「現先で運用するか」
「短期金融市場の商品にするか」
「債券を購入するか」
という選択が生まれます。
この瞬間、銀行の預金市場は銀行だけの閉じた世界ではなくなります。
預金市場が他の金融市場とつながった
のです。
これは前節で扱った「金融市場相互の連関」という考え方ともつながります。預金金利は預金市場だけで孤立して決まるのではなく、短期金融市場、貸出市場、債券市場などとの競争関係のなかで形成されます。
預金金利自由化から見えてくる「金融とは何か」
預金金利の問題は、一見すると非常に地味です。
「銀行に100万円預けたら何%の利息が付くのか」という話に見えるからです。
しかし、その背後には金融システムの本質があります。
預金者は資金を提供します。銀行はその資金を集めます。企業は銀行から資金を調達します。銀行は貸出だけでなく債券や短期金融市場でも運用します。市場金利が変われば銀行の調達コストも変わり、貸出金利にも影響します。資金が別の市場へ移動すれば、さらに金利が動きます。
つまり一つの預金金利の背後に、
家計 → 銀行 → 企業 → 金融市場 → 中央銀行 → 政府
という巨大な資金循環が存在しています。
金利自由化とは、この資金循環のなかで「価格を誰が決めるのか」という問題を、市場の役割を大きくする方向へ転換した出来事でした。
そして、ここから金融はさらに一段階進みます。
預金金利が自由になると、銀行は「預金をどれだけ集めるか」だけでなく、「集めた資金をどこへ運用するか」「貸出金利をどう設定するか」「市場金利の変化にどう対応するか」を考えなければなりません。
その結果、預金市場と貸出市場の関係がより重要になります。
預金は銀行にとって「安定した資金源」ではあるものの、自由化された市場では必ずしも安価な資金ではありません。預金者もまた、より有利な金融商品を選択できるからです。
この変化は、次に見る貸出市場と貸出金利の問題へと自然につながります。銀行は「いくらでお金を集めたか」だけではなく、「いくらで、誰に、どのくらいの期間、お金を貸すのか」を考えなければならなくなったのです。
