戦後の日本の金融制度は、単純に「銀行が預金を集め、企業に貸す」という仕組みでできていたわけではない。銀行、長期信用銀行、信託銀行、証券会社、郵便貯金など、それぞれに担当する仕事が細かく分けられ、互いに競争しすぎないよう制度によって境界線が引かれていた。
ところが1980年代以降、この境界線が少しずつ崩れ始める。
企業が銀行から借りるだけでなく、株式や社債を発行して市場から直接資金を集めるようになり、証券会社が預金に似た金融商品を販売するようになる。一方、銀行も国債や投資信託を扱うようになり、信託銀行の領域にも他の銀行が進出するようになる。さらに、海外の金融機関との競争や金融市場の国際化が進み、日本独自の「金融機関ごとの縄張り」を維持することが難しくなった。
その結果として起きたのが、金融自由化と金融機関の業務分野の再編である。これは単なる金融商品の増加ではなく、「銀行とは何か」「証券会社とは何か」「郵便貯金は民間銀行と何が違うのか」という金融制度そのものを問い直す大きな変化だった。
- 1.なぜ金融機関には「縄張り」があったのか
- 2.「長期」と「短期」の境界が現実に合わなくなった
- 3.長期信用銀行はなぜ存在意義を失っていったのか
- 4.信託銀行も「独占的な専門領域」ではなくなった
- 5.銀行と信託銀行の境界も崩れ始める
- 6.銀行と証券会社――「預金」と「証券」の境界線
- 7.証券会社が「預金」のような商品を売り始めた
- 8.しかし証券会社には「決済」という弱点があった
- 9.銀行も黙ってはいなかった――国債・投資信託への進出
- 10.金融自由化の背景には「国際化」があった
- 11.郵便貯金はなぜ銀行から強く警戒されたのか
- 12.「官業は民業を圧迫していないか」という問題
- 13.マル優・グリーンカード問題も金融機関競争と結びついていた
- 14.「金融機関の業務分野」が争点になった本当の理由
- 15.「ストックの商売」と「フローの商売」
- 16.金融自由化は「便利になること」だけではない
- 17.日本の金融制度は「分業型」から「総合金融」へ
- 金融の自由化とは「お金の世界の境界線」を引き直すことだった
1.なぜ金融機関には「縄張り」があったのか
現在の感覚からすると、銀行が投資信託を販売したり、証券会社が国債を販売したりすることは珍しくない。しかし、かつての日本では金融機関ごとにかなり明確な業務分担が存在していた。
その背景にあったのが、いわゆる専門金融機関制度である。
戦前から日本では、普通銀行について「健全経営のためには短期の商業金融を中心とするべきだ」という考え方が強かった。銀行は企業の短期運転資金を供給し、長期の設備資金については別の金融機関が担当するという考え方である。
戦後になると、この考え方が制度として整えられた。
普通銀行は短期運転資金、長期信用銀行は長期設備資金、信託銀行は信託業務など、それぞれに専門的な役割を持たせたのである。昭和27年には長期信用銀行法が制定され、長期金融機関としての制度的な位置づけが明確になった。
この制度には一つの合理性があった。
銀行が短期資金を扱い、長期投資は長期資金を扱う専門金融機関に任せれば、金融機関が無理な資金運用をすることを防ぎやすい。
つまり、
短期の資金需要 → 普通銀行
長期の設備投資 → 長期信用銀行
資産管理・信託 → 信託銀行
株式・社債市場 → 証券会社
というように、金融システムを分業させたのである。
しかし、この仕組みは経済環境が変わると次第に窮屈になっていった。
2.「長期」と「短期」の境界が現実に合わなくなった
長短金融の分離が特に大きな問題になったのは、企業金融の実態が制度上の区分から外れていったからである。
高度成長期には企業の設備投資需要が非常に大きかったため、長期信用銀行には明確な存在理由があった。
ところが経済が成熟すると、企業の資金調達方法が変化する。
優良大企業は、銀行から借りるだけではなく、国内外で社債を発行できるようになった。株式市場から資金を調達することもできる。
そうなると、
「長期資金は長期信用銀行から調達する」
という仕組みそのものが相対的に重要でなくなる。
一方、都市銀行や地方銀行も中長期の融資を積極的に行うようになった。逆に長期信用銀行も短期貸出を組み合わせるようになり、両者の業務は次第に似ていった。
制度上は別々の銀行なのに、実際にやっていることが近づいていく。
これが長短金融の垣根が崩れるという現象である。
3.長期信用銀行はなぜ存在意義を失っていったのか
長期信用銀行の問題は、単なる制度論ではなかった。
企業の資金調達そのものが変わったからである。
かつて大企業は、設備投資のために銀行から長期資金を借りることが多かった。しかし、金融市場が発達すると、企業は株式や社債を発行して直接市場から資金を調達できるようになる。
これは企業側から見ると非常に大きな変化である。
銀行借入だけに依存していれば、
企業 → 銀行 → 融資
という一つのルートに依存する。
ところが資本市場が発達すると、
企業 → 株式市場
企業 → 社債市場
企業 → 銀行
という複数の資金調達ルートを持てるようになる。
その結果、長期信用銀行だけが「長期資金の専門家」である必要性が薄れていった。
さらにバブル崩壊が追い打ちをかけた。
長期信用銀行は不動産や企業向け融資などを通じて多額の不良債権を抱え、経営基盤が大きく揺らぐことになる。平成10年には日本長期信用銀行と日本債券信用銀行が経営破綻した。
これは金融制度の歴史を考えるうえで非常に象徴的な出来事だった。
制度によって作られた専門性は、経済環境が変化すると、その存在理由そのものが変わる。
4.信託銀行も「独占的な専門領域」ではなくなった
もう一つ大きな問題になったのが信託業務である。
信託とは簡単にいえば、財産を一定の目的のために他者へ託し、管理・運用してもらう仕組みである。
たとえば、
- 財産管理
- 資産運用
- 年金資産管理
- 不動産管理
- 相続関連業務
など、金融と資産管理が交差する領域で重要な役割を持つ。
戦後の日本では、信託業務は原則として信託銀行に専門的に担わせる方向が取られていた。
ところが国際化が進むと、この仕組みが問題になった。
海外では銀行と信託業務の関係が日本ほど厳格に分離されていないケースも多かった。そのため、海外に進出した日本の銀行は、現地では信託業務を扱っているのに、日本国内では同様の業務が制限されるという矛盾が生じた。
金融市場が国際化すると、国内だけで成立していた「業務分野の壁」が次第に意味を失っていくのである。
5.銀行と信託銀行の境界も崩れ始める
昭和60年代以降、こうした状況への対応が進んだ。
海外の銀行が日本で信託業務を行うことを認める一方、国内でも銀行と信託業務の関係を見直す方向が強まった。
平成4年に金融制度改革関連法が成立すると、信託銀行以外の銀行や証券会社も信託子会社を設置して信託業務に参入できるようになった。
さらに地方銀行や第二地方銀行については、銀行本体による参入も認められる方向へ進んだ。
これによって、
「信託業務=信託銀行」
という従来の図式も崩れていく。
一方、信託銀行自身も厳しい競争にさらされた。
信託銀行間の合併、都市銀行による実質的な子会社化、持株会社方式による金融グループ化など、金融業界の再編が進んだ。
つまり金融自由化とは、「一つの銀行が自由にいろいろな仕事をするようになる」というだけではない。
金融機関そのものの組み合わせが変わることでもあった。
6.銀行と証券会社――「預金」と「証券」の境界線
銀行と証券会社の関係は、さらに分かりやすい。
伝統的な銀行は、
預金を集める
↓
企業などに貸す
↓
貸出金利と預金金利の差を収益にする
というビジネスモデルを持っている。
一方、証券会社は、
株式・社債などを売買する
↓
企業の株式・社債発行を引き受ける
↓
投資家と企業を市場で結びつける
↓
手数料などを得る
という構造を持っていた。
そのため、両者は基本的に違う仕事をしているように見える。
しかし、企業の資金調達を考えると、両者は明らかに競争関係になる。
企業が長期資金を必要としたとき、
銀行から借りる
という方法もあれば、
株式・社債を発行する
という方法もあるからだ。
前者なら銀行の仕事、後者なら証券会社の仕事になる。
したがって企業金融が銀行融資から市場調達へ移れば、証券会社の領域が広がり、銀行の領域が相対的に狭くなる。
ここから激しい業務分野争いが生まれた。
7.証券会社が「預金」のような商品を売り始めた
銀行と証券会社の競争を象徴する商品が、中期国債ファンドだった。
証券投資信託はもともと株式投資信託から始まった。株式は価格変動が大きいため、銀行預金とは性質がかなり違う。
しかし公社債投資信託になると事情が変わる。
国債などの比較的安全性の高い債券を中心に運用するため、一般の預金に近い性格を持つ商品になってくる。
そして中期国債ファンドが登場すると、証券会社は「銀行預金に似た金融商品」を個人に販売できるようになった。
これは銀行から見ると大きな脅威だった。
銀行は預金を集め、その資金を貸出などに回している。ところが証券会社が、預金と似た商品を販売して個人資金を集めれば、家計の金融資産をめぐって競争することになる。
金融商品の形が変わるだけで、金融機関の業務境界まで動いてしまうのである。
8.しかし証券会社には「決済」という弱点があった
ここで銀行と証券会社の違いが非常に面白い形で表れる。
証券会社が中期国債ファンドなどで個人資金を集めることはできても、銀行預金とまったく同じ機能を持つことはできなかった。
銀行預金には、
給与の振込
公共料金の引き落とし
各種口座振替
送金・決済
という機能がある。
つまり銀行預金は、単なる「利息を生む資産」ではない。
社会の決済システムに組み込まれたお金なのである。
証券会社から見れば、ここが銀行との大きな違いだった。
そこで証券会社は、銀行との提携などを通じて、証券口座に決済機能を近づけようとした。
アメリカなどでは、証券口座と銀行機能を組み合わせる「総合口座」的なサービスが発達していた。日本でも中期国債ファンドなどと普通預金を組み合わせる仕組みが模索された。
ここには金融サービスの本質が表れている。
金融商品そのものだけでなく、その商品が生活の中でどのような機能を持つかが競争力を左右する。
高い利回りの商品を作るだけでは銀行預金を完全には代替できない。決済まで含めて初めて「お金」としての利便性が完成するからである。
9.銀行も黙ってはいなかった――国債・投資信託への進出
もちろん、証券会社だけが銀行の領域へ攻め込んだわけではない。
銀行側も証券業務へ進出し始めた。
昭和56年の銀行法改正によって、銀行が国債などの売買・引受けを行うことが明確化され、その後、銀行による国債の窓口販売などが進んだ。
さらに平成4年6月に金融制度改革関連法が成立すると、銀行と証券会社は子会社方式で相互参入できるようになった。
そして平成10年12月の金融システム改革法施行に伴い、銀行などによる投資信託の窓口販売も解禁された。
これは今日の金融サービスを考えると、かなり重要な転換である。
現在では銀行の窓口で投資信託を購入することは珍しくない。しかし、これは金融機関の業務分野を厳格に分けていた時代から見ると、大きな制度変化だった。
銀行は「預金と融資だけの会社」ではなくなり、証券会社も「株式売買だけの会社」ではなくなっていった。
10.金融自由化の背景には「国際化」があった
なぜ日本はこのような改革を進めたのか。
その背景には国内事情だけでなく、金融の国際化があった。
1980年代になると、欧米を中心として金融自由化が進み、国際的な金融市場が急速に一体化していった。
日本だけが国内独自の業務規制を維持していると、日本の金融機関が海外市場で競争する際に不利になる。
また外国金融機関から見れば、日本市場だけ参入条件が厳しいという問題も生じる。
その象徴となったのが、1983~84年の日米円ドル委員会をめぐる動きだった。
米国側から日本に対して、金融自由化や金融市場の開放を求める圧力が強まったのである。
その後、大蔵省が「金融自由化・市場開放」を進める方向を示し、日本の金融自由化は大きく加速した。
したがって日本の金融自由化は、
国内の金融効率化
だけではなく、
国際金融市場の一体化への対応
という側面も持っていた。
11.郵便貯金はなぜ銀行から強く警戒されたのか
金融機関の業務分野をめぐる問題を考えるうえで、もう一つ非常に重要なのが郵便貯金である。
郵便貯金、とりわけ定額貯金は、銀行預金とは異なる有利な条件を持っていた。
定額貯金は6か月を超えれば引き出すことができ、最長10年間預けておくことができた。また、預け入れ時の金利が適用され、金利上昇局面では預け替えによって高い利率を確保することが可能だった。
このため、郵便貯金は個人の資金を強く引きつけた。
昭和55年には郵便貯金が大きく増加し、銀行側では郵便貯金との競争問題が強く意識されるようになった。
ここで問題になったのは単純な「銀行対郵便局」という競争だけではない。
郵便貯金には、政府が運営する巨大な金融ネットワークという特殊性があった。
全国の郵便局を通じて国民の小口資金を集め、その資金が財政投融資の原資としても利用されていた。
つまり、
国民の貯蓄
→ 郵便貯金
→ 政府の資金運用
→ 政策金融・公共投資など
という巨大なルートが形成されていたのである。
12.「官業は民業を圧迫していないか」という問題
郵便貯金の巨大化は、金融制度全体に大きな問いを突きつけた。
もし政府が巨大な預金機関を持ち、民間銀行と似たサービスを提供するなら、
「政府が民間企業と同じ仕事をする必要があるのか」
という問題が生じる。
ここから出てくるのが、「官業は民業を補完すべきである」という考え方である。
政府が金融業務を行うなら、民間金融機関では十分に対応できない領域に重点を置くべきではないか。
この考え方は、その後の郵政改革や財政投融資改革を理解するうえで非常に重要になる。
昭和56年に設置された「金融の分野における官業の在り方に関する懇談会」でも、官業は民業の補完に徹するべきだという方向が示され、定額貯金の見直しなどが提言された。さらに行政改革の議論の中でも、郵便貯金の肥大化をどう解消するかが重要なテーマになった。
ここには、政府金融をめぐる根本的な問いがある。
「政府が金融をすること」そのものが問題なのではない。問題は、政府がどこまで金融を担うべきなのかという境界である。
13.マル優・グリーンカード問題も金融機関競争と結びついていた
郵便貯金をめぐる議論では、税制も重要だった。
預金利子については一定の非課税制度があり、いわゆるマル優制度などが存在した。
一方で、郵便貯金については異なる取り扱いがなされていたため、銀行側から見ると競争条件の公平性が問題となった。
そこで預金者の本人確認などを目的とするグリーンカード制度が導入されようとしたが、強い反対が出て、最終的には当初予定された形では実施されなかった。
この問題は一見すると税制の話に見える。
しかし実際には、
税制
→ 金融商品への魅力度
→ 家計の資金移動
→ 銀行と郵便貯金の競争
→ 財政投融資の資金量
というように、税制と金融機関の競争がつながっている。
金融制度は、それだけで独立して存在しているわけではない。税制、行政制度、産業政策、国際関係まで含めた大きな制度体系なのである。
14.「金融機関の業務分野」が争点になった本当の理由
ここまでの動きを一つの図にすると分かりやすい。
| 従来の金融制度 | 自由化後の方向 |
|---|---|
| 普通銀行=預金・貸出 | 証券・投資商品へ進出 |
| 長期信用銀行=長期資金 | 普通銀行との境界が縮小 |
| 信託銀行=信託 | 他銀行・証券会社も参入 |
| 証券会社=株式・社債 | 預金類似商品を提供 |
| 郵便貯金=政府系貯蓄 | 民間金融との競争が問題化 |
| 政府金融=政策目的の資金供給 | 市場原理導入・改革へ |
つまり金融自由化によって起きたことは、
「金融機関の種類が増えた」
というより、
「金融機関を分けていた壁が低くなった」
ということである。
銀行と証券、銀行と信託、政府金融と民間金融という境界が次第に曖昧になっていった。
15.「ストックの商売」と「フローの商売」
銀行と証券会社の違いを理解するうえで、非常に面白い表現がある。
銀行は「ストックの商売」、証券会社は「フローの商売」だという考え方である。
銀行は預金という形で大量の資金を継続的に保有し、それを貸出や有価証券に運用する。預金という「残高」が重要になる。
一方、証券会社は株式や社債の売買、発行引受などを通じて資金を動かし、その取引から手数料を得る。
つまり、
銀行=資金を「蓄積して運用する」金融
証券=資金を「市場を通じて動かす」金融
という違いがあった。
しかし金融自由化が進むと、この違いも小さくなっていく。
証券会社は投資信託によって資金を長期間集めるようになり、銀行は証券商品の販売を行う。
ストックとフローの境界まで曖昧になっていったのである。
16.金融自由化は「便利になること」だけではない
金融自由化という言葉からは、金融商品が増えて便利になるというイメージが生まれやすい。
実際、それは重要な効果である。
預金だけではなく、株式、債券、投資信託、外貨商品など、家計がさまざまな金融商品を選択できるようになる。
企業も銀行融資だけでなく、株式や社債など多様な資金調達手段を持てる。
金融機関も新しい商品やサービスを開発するようになる。
しかし、自由化には競争激化という側面もある。
金融機関は顧客を奪い合うようになる。
収益源を増やす必要が生じる。
これまでの専門分野だけでは生き残れなくなる。
その結果、金融機関の合併やグループ化も進む。
さらに金融機関がリスクの高い領域へ進出すれば、経営破綻や金融システム不安につながる可能性もある。
したがって、金融自由化とは、
「自由にすればすべてうまくいく」という政策ではない。
競争を促進する一方で、金融システムの安全性をどのように維持するかという、新しい課題を生み出す改革でもある。
17.日本の金融制度は「分業型」から「総合金融」へ
戦後の日本の金融制度を一言で表すなら、分業型金融システムだった。
銀行、長期信用銀行、信託銀行、証券会社などにそれぞれ専門領域を持たせ、金融システム全体を分業によって運営する。
ところが1980年代以降は、
分業
↓
競争
↓
相互参入
↓
金融グループ化
↓
総合金融サービス
という方向へ動いていく。
銀行が投資信託を扱う。
証券会社が預金類似商品を扱う。
銀行が国債を販売する。
銀行や証券会社が信託業務に参入する。
金融機関が子会社を作って別分野へ進出する。
さらに持株会社を中心に銀行・証券・信託などを同じグループにまとめる。
こうして、金融機関は「一つの仕事だけをする専門家」から、顧客の金融ニーズを総合的に扱う金融グループへ変化していった。
金融の自由化とは「お金の世界の境界線」を引き直すことだった
戦後日本の金融制度は、銀行と証券、普通銀行と長期信用銀行、銀行と信託、民間金融と政府金融など、さまざまな境界線によって構成されていた。
その境界線には、それなりの合理性があった。
しかし経済が高度化し、企業の資金調達方法が変わり、金融市場が国際化し、金融技術が発達すると、古い境界線では現実を説明できなくなっていった。
そこで金融自由化が進んだ。
その本質は、単なる規制緩和ではない。
「誰が何をする金融機関なのか」という制度上の定義そのものを組み替えることだったのである。
そして、この変化は現在の金融を理解するうえでも重要な意味を持つ。
今日、銀行で投資信託を買い、証券会社で預金に似た商品を利用し、保険会社で資産形成を行い、スマートフォンから証券取引や送金を行うことが当たり前になっている。
かつては別々の業界だったサービスが、現在では一つの金融サービス空間の中で競争している。
その原型を生み出したのが、1980年代以降に進んだ金融自由化だった。
そして、その変化の背景には、企業の資金調達構造の変化、国際金融市場の一体化、金融技術の発展、政府と民間の役割の見直し、そして金融機関同士の激しい競争があった。
金融制度の歴史を見ると、「銀行」「証券会社」「保険会社」といった分類は永遠に存在するものではないことが分かる。
金融機関は社会の変化に応じて姿を変える。
そしてその変化を理解することは、単に金融業界の歴史を学ぶことではない。企業がどう資金を調達し、家計がどう資産を形成し、政府がどこまで金融に関与し、市場が社会の資金をどう配分するのかという、日本経済そのものの仕組みを理解することにつながっている。
